アーティクル投稿でリンクをつくる

ついに登場!アーティクルマーケティングサイトが日本にも。

たくさん、たくさんアーティクルがクル

いやいや大変!山ほどのアーティクルが海外から送られてくるのです。Article Directoryの運営がこんなに忙しいものとは知りませんでした。また、彼らの熱心さにもあきれ気味なのです。

6月1日以降ほぼ200件が送られてきていて、ぼくの受け入れを待っているのですが、これを読むのは大変。ひとつ翻訳しては見たものの、とても全部訳せるわけがない。でもいずれも商売熱心な方々の意思の結晶と思えば大切にしなければならないし、しかも削除にあたってはその説明をするようサイトができているので、仕方がありませんなぁ。

いずれもせいぜい日本語でいえば原稿用紙、400字詰めですが、2-4枚程度なのですぐ読み終わる点はOKであります。文章も気取ったものはないので、ストレートに内容を評価することになります。

ぜひお越しいただいて、普通の人の書く英語がどれほどのものかご検分をいただきたい。我われとあまり変わりません、これ本当!

推理?秋葉原殺人事件

恐いですねぇ、みんなが相手になってくれないんだもん、という理由により彼はインターネットへの書き込みでモチベーションを高めながら、みごとに目標を達成してしまったわけです。でも?

世の中に出る場合、ほとんど一人で出てきます。このごろは五つ子なんてあるようですが、そんな場合でもお互いを意識しているかどうか、おそらくかれらも分からないのではないでしょうか?

ぼくには1967年から数年海外で暮らす機会がありました。それまでの20+アルファ年間いつも身近に兄弟がいて、祖母が二人に祖父が一人、それに両親がそろっている中で生活していましたから、いったいこりゃなんじゃ!というのが正直な感想であり、食事の心配から着る物の洗濯まで全部自分がやる、やらないでいたら誰かがやってくれることはない、というキツイ気分を心に留めるまで2-3ヶ月かかってしまった記憶があります。

心理的に言うなら、秋葉原殺人事件の犯人は追い詰められていた、そういう気分になっていたものと考えるのが普通です。何でそれまでに周りの誰かが気づいてあげなかったのか、などというのはまったく犯人の周囲にいなかった人が言えることで、そもそもあまり言ってはいけないことの中に入るせりふだとぼくは考えます。

人が周囲に寄って来ない、それは本人に魅力がないからでありまして、それに尽きるのでは?じゃぁ魅力ってなによ!一般的に魅力的な人と表現されるところの魅力をぼくは言っていません。生まれが違い、育つ環境が違えば同じ気質を持っていても、結果には大変な違いが出る、そんなこたぁ皆さんご存知でしょうが、じっさいどのくらい違うのかをはかる物差しなんかありゃぁしないのです。

人が自分を避けている、そう感じるときがありました。急になんですが、子供のころ近所の仲間になかなか入れなくて母親に付き添ってもらい、お願いに行った記憶があります。この場合ぼくは彼ら=近所の子供に嫌われていたわけではなく、単に自分に意気地がないため「遊んでよ」、あるいは「仲間に入れてよ」あるいはもう一歩「それ面白そう、教えて!」みたいな素直な感情表現ができなかったためだと、今になれば理解できます。

昔から「子供は残酷なもの」ということになってます。それは、世の中のことを知る媒介に両親、兄弟が介在するところから、人に対する自身の考え方を持つことなくいきなり10歳も20歳も年上の人たちが話しているところから吸収した、というより、その中から自分に気に入った言葉を記憶して無意識に利用してやろう=これすなわち学習でありますが、という積極的な気持ちのなせる業であろうと思うんです。

したがってそばにいる年上の人、あえて大人とは言いません、にはこまっちゃくれて聞こえたり、乱暴に聞こえたりするわけです。

で、殺人犯人のどこにあるのか?子供のころの環境でしょうね。親には申し訳ありませんが『良い子』でいることに何よりも価値を認めていたのでしょう。ただし、良い子でいてもほめることはしなかった。それがあたり前であるような顔をして接していたのでしょう。多分感情の交流がなかったのではと考えてしまいます。子供にとって、これほどつらいことはない。何をしてもわけがわからず、とりあえず良い子にしていれば黙っている親がいる。

だから感情がどっかに仕舞いこまれて顔を出さないままに、秋葉原へ突っ込んだ。さびしいやぁね、ホント!

インターネットマーケティング

インターネットマーケティングってなんなのよ。なにも難しいことはありません。インターネットを広告メディアに利用する販売活動、このように考えてよろしいと思います。それでは今までのマーケティングとの違いは?さぁこれが難しい。ここんところで皆さんが引っかかるものと思われます。僕もそうでした。

たとえば食堂を経営する、話がわかりやすいですよね。提供する料理のカテゴリーを決め、お店の味を作り、接客スペースを決め、店舗の住所を決め、資金を集め、一人でできないところはアルバイトを雇い、メニューをつくり、資材を購入し(ここには看板の準備も含まれることにしましょう)、そして来客数をイメージして材料を手当てし、下ごしらえを準備し、
さぁー開店であります。

全部現実の目に見え、手で触れる、匂いを嗅ぎ、熱気や湿気を感じてできる仕事であるのです。
広告はどうするの?チラシ、立看板、新聞折込、などなどいずれにしても半径500m最大でも2kmをターゲットに仕事を進められるので気合も入るし、楽しみも実感できる。そうですよね?

インターネットではこうした手続きに実感がないので困るのです。どう困るか?手ごたえがないんですよ。食堂開店間近ともなれば隣のおばちゃんや向かいのケンタ店長が偵察を兼ねて挨拶に寄ったり、親戚の叔父さんが時代遅れの額縁に入れた絵を持ってきてくれたり、そんな交流が出てくるんですが、これがありません。

そもそもインターネットじゃどっからガ自分ちでどっからが向かい側なのかわからないのです。

今の内閣ACだらけ?

アダルトチドレンと言う言葉があります。かの有名なウィキペディアによれば、次のような定義になる。「子供の成育に悪影響を与える親(アルコール依存症やドメスティック・バイオレンスなど)のもとで育ち、成長してもなお精神的影響を受けつづける人々のこと。学術的な言葉ではなく、論者により定義が異なる場合がある。AC ともいう。」

ウィキペディアのサイトで詳細をご覧になれるが、その目次に特徴的な心理パターンというのがあり、これがまた面白い。18の心理パターンがリストされているが、今の安部内閣をみごとに表わした表現をピックアップすると;
1. 自分は他人と違っていると思い込みやすい。
2. 習慣的に嘘をついてしまう。
3. 罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的
4. 過剰に自責的な一方で無責任。
5. 物事にのめりこみやすく、方向転換が困難。
6. 他人に依存的、または逆に極めて支配的。

いかがです?昨今の首相のつっぱり、自殺した某の鬱にはまった顔、最近の赤城なんたらのわけのわからない言い訳をとりあげてかばう安部君、でしょ?

さらにこんなことも書いてあります。
ACの習慣化された思考:全15点挙がっていますが、安部君にぴったりの2点をあえて記載すると;
■ 承認欲求と愛されたい願望
「認められたい」「愛されたい」という他者への過度の欲求で、自分自身を混乱させてしまう。
■ テスティング
相手を困らせたり不快がらせる言動をわざとして、自分への愛情度を測る「試し行動」。

なぜこんなのがそろっちゃったのか?私の分析をご紹介しましょう。それに先立ちわたしのAC定義をさし上げますと、それは次のようになります。『過保護の元に育ち、社会で活躍する年齢になっても過保護の結果得た思考形態から抜け出せないまま他人の心を無意識に踏みにじり続けて生活する人たち』
そぉなんです。ウィキペディアの定義に記載の『原因』とは逆の原因で同じ結果を得ることができる、ということなんです。

その①: 物事に正面切って対決しないでも生きてこられた。
安倍晋三くんのおじいちゃんは岸信介であり、父親は安倍晋太郎氏でありまして、親子合計3代の政治家であります。

したがって子供の頃から、生活にまつわるあれこれはすべて周囲の人間が処理してきたものと思われます。個人的な問題?さて、お金を除く個人的な心配事って何があります?

恋の悩み?テストの点が悪い?一体何があります?ねっ難しい質問になります。えっ?劣等感?そんなもの大物と言われる政治家の中で育ったら、誰でも考えられる周囲の反応=おべんちゃら、お追従、おだてなどなどにより意識することなく高校生ぐらいまでいっちゃいます。もちろん親の世代に対して劣等感を持つことはありえますが、それは行動の原動力となりこそすれ、その結果落ち込む込むなんて事はまずありません。

もう一つ、お金があると自分の好きなことが出来るから、そして親に余裕があれば子供にかける時間も多くなることから、中には子供から考える力を奪う親さえある。

そうなんです。子供が不満を表明する前に「ぼくちゃん、そろそろ眠いんじゃいの?」とか「おなかがすいてるはずだからこれ食べなさい」とか、つい子供の代わりに考えてやっちゃうんですね。

これは最悪です。

さて、安倍君の家系はそんな状況なので、少なくとも生活に困ることはなかったはずです。だから本人の意識するしないに関わらず物事を避けて通っても、外から見ている限りでは何も起こりません。

いや、勘違いしないでください、私は直接安倍晋三氏と話したこともなければ、個人的に目を合わせたこともありませんからまったくの観察に基づいて述べているだけです。だから当然まったくの見当違いがあるかもしれません。まぁそれはそれで、馬鹿言うな、ってぇくらいで軽く流しといてください。

さて、冒頭のACに関する特徴的な事柄を追求するとどうなります?
1.自分は他人と違っていると思い込みやすい。
これはもう思い込みやすい、どころの話じゃありません。そのものですよね。なんせ親子三代自民党の中枢を握ってきた家族です。おそらく心のどこかでは自民党総裁になって当たり前、見たいなところがあると感じてます。
で、実はこれはなにも安倍君ばかりでなく、そこらじゅうにいるんです。そぉ社長の息子、という種族のことを僕は言ってます。彼らは自分が事業を起こしたわけではない。自分が会社を大きくしたのでない。ほとんどの場合、親が地道に育ててきた事業にあとから参加して、そして単に社長の息子だからというだけで次の社長は俺だ!と決めてしまっている人たちです。

困ったことに、そういう考え方はおかしい、ということを正面切っていってあげる人がいない。そう、親が言わなくちゃいけないですが逆に親は親でいろんなことをし残したような気がしてるから、子供に割く時間などない。そしてそのままになっちまうんです。あるいは積極的に息子以外を後継にするつもりのない方々もおられる。もちろんそんな人たちばかりじゃありませんよ。しっかりと継いで親の事業を倍にも3倍にもする人たちもたくさんいます。

2. 過剰に自責的な一方で無責任。
で頭脳はどうかというと、事業を起こし育てるぐらいのバックボーンを持つ親から出てきた子供ですから、ほとんどの場合IQはいいところへいくんです。すなわち頭は悪くない。それなりにいろいろ気付くことがある。ところが、心棒の部分に大きな空白=自分の思い込みがあるので、しかもとりあえず生活にも困窮しているわけはないので、問題を先送りにする癖をつけてしまう場合があるのです。その結果自分に対して「習慣的に嘘をついてしまう。」

そうなんです、『今でなくてもいいじゃん』という結論を作りやすいのであります。その結果、本来手を打っておかなければならなかったことが原因でことが起こると、一応反省するんですね。『あっ!やっぱりなぁ・・・・・・』 そこでやめておけば良いのですが、そこは育ちのよろしいお坊ちゃんとしては『僕が悪いんだ・・・・』と妙に意固地に落ち込みかねないのであります。するとどうなるか、ねっ?”過剰に自責的な一方で無責任”ということになるわけです。

安倍君の場合、盛んに弁護するがその弁護の主旨自体が非常に無責任な物言いになっていることに気付かない。あるいは上に述べたように”物事に正面から向き合う習慣がない”ため今期待されていることは弁護ではない、ということを認めたくない心境に陥るわけです。

さらにもう一つありますよね、「他人に依存的、または逆に極めて支配的。」 これは依存する他人の範疇が既定であり、それ以外の部分については支配的な態度を取りがちだ、と言っております。議員さん仲間の誰彼に依存し勝ち、というより言うなれば長老の言うがまま、はいささか言いすぎとしても、長老が「安倍君そりゃ、まぁ今はいいよ・・・」みたいなことをいうと、それに乗ってしまうのではないかとかんがえるのです。